2015.03.26
かくだ牟宇姫ひなまつり特別講演会「牟宇姫と兄・秀宗」
こちらは「ミネ幼稚園」のチビッ子たちが作ったお雛様。どれも個性豊かで可愛らしいですね。
「三寒四温」という言葉がピッタリの今日この頃。今年度最後の投稿となります梅雀です。
まめちゃんと梨姫が以前お伝えしました、先日2/28(土)~3/1(日)に開催された「第4回かくだ牟宇姫ひなまつり」。
会場となった長泉寺は角田領主石川家の菩提寺であるとともに牟宇姫が眠っている所でもあり、牟宇姫に関する講演にはピッタリの場所。
会場はほぼ満員4講演会の前には「角田祭ばやし保存会」の皆さんによる祭りばやしが演奏されました。
この祭ばやしは牟宇姫が愛好していた、京都の祇園ばやしの一節を取り入れたものと伝えられています。
先生は自身の著書『伊達政宗の手紙』のなかで、手紙による伊達政宗と牟宇姫の交流について触れられていますが、今回は政宗の長男であり宇和島(現愛媛県)藩の初代藩主であった「伊達秀宗」との交流について講演して頂きました。
演目は「牟宇姫と兄・秀宗」。
講演では牟宇姫と秀宗の間で交わされた日常的な手紙のやりとりを題材に、牟宇姫の優しさ溢れる人となりや、兄弟の仲睦まじい様子について解説して頂きました。実際の手紙の資料を使いながら、当時の手紙の書き方・読み方もレクチャー。当時の書き方は「散し書(ちらしがき)」といって、「書ききれない文章は手紙の最初に戻り余白に書いていく」というスタイルだったそうです。これは当時貴重だった紙を節約、また見栄えを芸術的なものにするために生み出されたものらしく、読み手へ礼儀と教養を示すために使われたそう。
また手紙から読み取る「伊達政宗と秀宗間の確執」についても解説して頂きました。慶長19年(1614)の「大阪冬の陣」にて政宗とともに徳川家康に与した秀宗。その後宇和島藩へ10万石が与えられたましたが、それを契機に息子(秀宗)の浪費や側近の選出、息子への「干渉(政治の補佐役を派遣)」を巡って親子間での大ゲンカが勃発
秀宗が補佐役一家を殺害()し、政宗に勘当される事態にまで発展したとか。しかしその後江戸で両者が腹を割ってそれまでの思いをとことん話した末、無事仲直りに至ったそうです。
最後の質疑応答では牟宇姫の名前の由来なども交え、参加者からの好評な感想が多数寄せられていました。
そして今年秋には仙台市博物館で宇和島藩伊達家の調度品が多数展示されるそうです。皆さん乞うご期待
posted by 梅雀
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