2013.10.31

角田め組のおいしいバーガーはこうして生まれる②

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日々気温が下がってきて、鍋物を楽しむ季節になりましたね[手(チョキ)]
梨姫です。
もっとも野外の気温など意に介さず、
角田のイベントの度に地元角田産の素材にこだわった
『かくだバーガー梅』を販売してこられたのが
前回もご紹介した角田め組プロジェクトの方々です。
全メンバー、本職あり。
休日返上で活動される背景には、
並々ならぬ、角田への郷土愛と「食・観光」への情熱があるのでは?
今回はその辺のところを伺いつつ、組の発足から、日頃の活動、
これからに向けてを3人の方にお聞きしました。
昨年9月に菅生で開催された車のイベントで、何か出店しないかと
メンバーの一人、佐久間秀人さん(後列右)が誘われたのがそもそもの発端。
そこでJA枝野青年部の仲間に声をかけ、何をつくって出ようか、
ホットプレートを囲む合宿がスタートしました。
角田にはこ、ま、うの食の3があります。
彼らは震災後の風評被害を克服したいという切なる願いから
あくまで地元産の3を活かした商品開発に力を入れたのでした。
まずは米の粉に注目。
米粉のバンズはもちもちとした食感を楽しみながらも腹持ちが良いもの。
それに角田の食材を使ったおかずを挟むことで
ご当地バーガーは食事として完結すると。
何しろ120グラムの特大パテは食べごたえあり、です。
豚肉に入れる梅肉、赤シソ、こしょうの割合、練り上げる具合など
ここに落ち着くまで何度も試作が繰り返されたそう。
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会長の門馬希道さんは、「この1年近く、まさに試行錯誤の日々でした。
味というのは人によってマチマチで、主に近所の人達から意見を参考に改善したり、
バンズ一つとっても、焼き具合が均一でなかったり。
角田市のイベントを計13日分こなしましたが、
仕事しながらのメンバーでよくこなしたなと感慨深いですね」と話された。
さらに、「欲張りかもしれませんが、このバーガーに何が入っていて、
どんな生産者が作っていて、など背景を理解して頂けている
お客さんを増やしたいです」と付け加えられた。
かつてエフエム仙台や東北放送の「ウォッチングみやぎ」でも
すでに取り上げられているとか。
パネル展示など販売方法での工夫を考えていますが、
あくまで地道にやっていくつもりですと意気込みを話された。
[門馬さんプロフィール:“米づくりの神様”と呼ばれるお父上をもつ米農家のご長男。
サラリーマンを経験後、家業を継いで9年経つという。
ノルマとか時間に縛られるという世界から解放されて、精神的には楽になったそう]
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この1年近くを振り返る、門馬さんと斉藤さん。
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米農家の八巻隆次さんは
「試行錯誤の連続です。販売しながらお客さんの感想を参考にし、
手を加えていって今のバーガーになったのです。
これからはコスト面での改善が急務ですね」と。
販売終了後の反省会ではいろんな意見が飛び交うそうですが、
仕事終わりの親睦はやはり楽しみだそうです。
また米農家同士の情報交換などが密になったり、メリットは多いとか。
[八巻さんプロフィール:結婚後枝野に移り、サラリーマンから農業に転職。
義父から農業指導を受けたり、仲間からの支えがあって現在に至るという]
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この日八巻さんは鉄板を担当。
ひたすら火のそばで焼き、人一倍汗をかく作業を続けていました。
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 養豚家の斉藤克敏さんは若手のご意見番。
 (生後1週間の子豚と)
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 「1年活動して、メンバーからはいろんな意見が出ています。
私は続けることに価値があると思います。
私達はまずみんなでベースをきちんと作ってそれからだと思っていたのですが、
なかなか資材を揃えるなど苦戦しています。
すべてはここからだと思います。
正直なところ、新たな方向性を模索しているという感じで、
メンバーと再構築していくつもりです」
[斉藤さんプロフィール:大学卒業後、デンマークで農家にホームスティして現地の畜産を学ぶ。その後サラリーマンを経て、実家の跡を継ぐ。豚肉をチルドでECサイト販売をした実績あり]
何かを変えるというのはとても大変なこと。
でもめ組の方々は実際に動き出された。
そして動き出したら、止めずに前に進むのみなのですね。
梨姫は頼もしい方々にただただ感動し、
新商品のモニターなど協力を申し出た次第です。
最後に……
め組の皆さんが集い、打ち合わせをする空間が、
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このログハウスです。
何と門馬さんが農閑期に5年かけて、
山から木を切り出すことからはじめて建てた傑作です。
次回出店予定:11/9、/10角田開催「JAみやぎ仙南フェスティバル」

2013.10.30

角田め組のおいしいバーガーはこうして生まれる①

ベガルタ仙台レディース第2戦は、あいにくの雨。

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それでも試合は行われるのです。皆さん、準備に余念がありません。

なかでもひときわ熱気を帯びているブースがありました。

ご存じ「かくだバーガー梅」を販売している角田め組プロジェクトさんです[ぴかぴか(新しい)]

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時間は10時前。ブース内は準備中で、メンバー皆さんが手際よく、
動き回っていました。
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そこで梨姫は、バーガーができるまでを潜入ルポ(ちょっと大げさですが)しました。
まずは炭をおこし、鉄板が熱くなるのを待ちます。
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そしてバーガーの中に入れる玉ねぎをソテー。
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ここで自慢のパテを焼きます。
角田産豚肉を100%使用し、梅肉、赤シソ、こしょう。
パン粉など一切つなぎを使わないので、すべてこねてまとめあげています。
浮いてくる肉汁が透明になってきたら、焼き上がりだそうです。
そうそうもう一点、中の具材、レタス!
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私は知らなかったのですが、野外での販売の場合、
トマトなどの生食は入れることが出来ないので
レタスなども湯通しして提供するのだそう。
め組会長、門馬希道さん自ら作業。

パテが焼きあがる頃を見計らって、バンズを焼き、
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レタスをのせ
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パテをのせ
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玉ねぎをのせ
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みそ(角田産大豆使用)マヨをのせ
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梅のコンフィチュールをのせ   
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マヨネーズをさらに加え
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バンズをのせて完成!
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お客さまにはペーパーに包まれた状態でお渡しです。
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毎回オープン前には試食が行われます。
今日の出来は?
本日は若手のホープ・黒須貴之さんが担当。
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パクといく[exclamation×2]
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今日もイケル[わーい(嬉しい顔)]
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 お昼近くには、観戦を待つ人の列がもうこんなにも!
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昼食を求め、ご当地バーガーが売れ出しました。
500円のお値段ですが、若い人を中心に次々と売れていきます。
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仙台から観戦に来たという若い男性に聞きました。
雨の中立ったまま食べていましたが、
「はじめてですが、意外に梅の味が控えめで、いろんな味がしておいしいです」と。
傍らで聞いていた男性は「じゃあ、僕も食べてみよう」と購入。
その後満足そうな顔をしていました。
しめて150個を売りさばいた
め組の方々は……
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本日は6名(フルメンバーは9名)。
前左から黒須さん、門馬会長、斉藤さん
後列左から八巻さん、遠藤さん、佐久間さん。
次回②でメンバー3人にお話をうかがい、結成当時からの
苦労話や角田市観光にかける思いなどをご紹介できたらと思います。

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2013.10.29

角田市郷土資料館訪問記part5~伊達政宗から牟宇姫への手紙&旧氏丈邸~

こんにちわ。宙(そら)です[晴れ]

先日、角田市郷土資料館館長の新庄屋元晴さんから、企画展「和田家資料~内留に見る角田石川家の奥向き~」について貴重な解説を頂きました。

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今日は伊達政宗公のもとから角田石川家、第3代宗敬公へと嫁いだ政宗公のご息女、牟宇姫へ宛てた政宗公の手紙を紹介させて頂きます。

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こちらが実際に寛永8(1631)年伊達政宗公(御年65歳)が、角田へ嫁いだご息女の牟宇姫(御年24歳)に送った手紙です。

政宗公の字が達筆すぎて、私には全く読めません(^^;)

郷土資料館館長さんの話ですと、これは女文字で書かれたものだそうです。昔は男文字と女文字の2つがあって、政宗公は娘(牟宇姫)に手紙を出す際は女文字を使って書いたそうです。政宗公の博識さと娘への愛情が伝わってくるエピソードですね。

さて、この手紙の内容ですが、この政宗公の手紙の下に読み下し文が書いてありました。

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文章の真ん中程から読んでいくと、「あゆのすもし一おけ三十入、つかハし申候、らい月一日比、よく候へく候、それすき候ハゝ、あちハひわるくなり申へく候間、その比忘れ候ハて、しやうくハんあるへく候、」

「1桶にあゆ鮨を30個入れて送った。来月1日頃になったら食べ頃になるよ。それを過ぎると味が悪くなるから、その頃合いを忘れないで味わって食べなさい。」

お父様の娘に対する優しさがこの文章から伝わってきますね。牟宇姫は政宗公にずいぶんと可愛がられた様で、手紙のやり取りも多かったと聞きます。

政宗公にとっては五郎八(いろは)姫以来のご息女ということもあって、目に入れても痛くない存在だったんでしょうね。牟宇姫への愛情の深さが伺えます。

牟宇姫は晩年、父政宗公の深恩に酬いるため、松島の瑞巌寺に自筆の法華経8巻を納めています。このことからも、牟宇姫と政宗公の「絆」は深かったのではないかと推測できます。

そしてこちらの写真が牟宇姫が角田石川家への輿入れの際に持って来たと言われる、雛人形2体。

男雛

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女雛

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こちらの人形は個人で所有されているものだそうで、資料館にはパネルで展示してありました。実際の人形は毎年2~3月に公開されるそうです。

こうやってみてみると、沢山の金が使われています。配色も金、黒、赤を使っており、これは伊達家の強さ、資金力のあるところを表した配色といわれています。見ただけでも、その豪華さが伝わってきます。この人形は普通の雛人形よりも大きく、高さ45㎝、幅60㎝もあるとのこと。そして、江戸時代の「男は度胸、女は愛嬌」を表したような凛々しい表情(男雛)と柔らかい表情(女雛)。この雛人形を作る時というのは、普通の人形を作るのとは訳が違うそうで、人形師が魂を入れて、人形を魂のある一人の人間の様にして作っていく為、本当に人間らしいお顔になるんだそうです。来年の牟宇姫ひな祭りが楽しみです!

話は変わりまして。

これまでは角田市郷土資料館の企画展をメインにお話してきましたが、ここからは角田市郷土資料館の建物「旧氏丈邸」を見て行こうと思います。こちらの、旧氏丈邸、本当に凄いお屋敷なんです。あちこちに色んなカラクリがあって、まるで忍者屋敷のようでした。

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こちらの旧氏丈邸は、2年前の震災の際に大きな被害を受けました。昨年1年修復されて、一般公開できるまでになりました。

特に敷地の中にある蔵は土壁なので、かなりの被害を受けたとのことでした。現在は綺麗に直されています。

こちらのお屋敷に使われている柱の一つ一つが立派なものであり、震災当時働いていた職員の方はその柱につかまって助かったと聞きました。

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こちらの写真のお部屋は新座敷と呼ばれるお部屋で、写真の様に扉には金箔が使われています。凄いですよね。そして私が一番感動したのが、こちらの障子です。

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真ん中が開閉式のガラス障子になっており、お庭の風景を眺めたい時にサッとそこだけ開けられる仕組みになっています。本当に素敵でオシャレなつくりですよね。うらやましいです。この障子は今時代にあるようで、あまりないですよね。

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そしてこちらの小さめの障子も、とても細かく、繊細に作られているんです。見てるだけで面白いですよね。
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廊下を歩いていくと、お風呂にたどりつきました。

こちらのお風呂、本当に凄いんです!!

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まずは2畳ほどの洗面所があり、その隣に行くと

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また3畳ほどの畳の部屋の脱衣所がありました。脱衣所でこの広さは贅沢ですよね。

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そして大理石の五右衛門風呂&備え付けシャワー!この時代にシャワーがあるっていうのは凄いですよね。そして極めつけはやっぱりこちら。

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お風呂に青い鳥が描かれているステンドグラスの窓。そして高い天井。こんなリッチなお風呂に一度入浴してみたいものです。

お風呂場以外にも、お屋敷の奥の方に夏座敷というお部屋がありました。

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こちらのお部屋は沢山窓がついているので、夏は本当に涼しいそうです。この部屋でエアコンなしで快適に過ごせそうですね。
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2階からお庭を眺めてみました。2階と言っても一般のお宅よりも高くて、3階くらいにいるような、空中を歩いているような感じでした。旧氏丈邸は風情があって深い味のある高級旅館の様な雰囲気を持ったお宅でした。 また機会があれば、もう一度旧氏丈邸に足を運んで当時のこの高級感を楽しんでみたいなぁと思います!
今回、企画展で分かりやすく解説をして下さいました、角田市郷土資料館館長、新庄屋元晴さん、また対応して下さった職員のみなさま、本当にありがとうございました!そして、今後ともよろしくお願い致します[晴れ]
<完>

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2013.10.28

角田市郷土資料館訪問記part4~角田版大名行列?~

こんにちわ。宙(そら)です[晴れ]

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現在、角田市郷土資料館では企画展「和田家資料~内留に見る角田石川家の奥向き~」が行われています。今日もそのお話の続きをさせて頂きますね!

角田版大名行列?

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さて、こちらの写真は石川家のお姫様、お源様(おもとさま)がお城から天神町の天神宮に参拝へ向かう際の行列をモデルで表したもの(1851年当時)。当時お源様は15歳で、今でいうと中学生くらいだそうです。お城~天神宮まで往復2kmの距離をこの大行列で移動するんですね。人数は40人弱程。ちょっと写真が小さくて、お姫様がどこにいらっしゃるか全く分かりませんね。

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お源様はこちらの御乗物(のりもの)と呼ばれるものに乗っております(写真中央)。御乗物は駕籠(かご)よりもひと回り大きく、大人1人と子供2人位乗れるスペースを持っているそうです。御乗物の周りを見てみると、お侍さんが合計8人で囲んでいます。警備も手厚いことがこのことからも分かりますね。

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そしてこちらが御乗物より一回り小さい駕籠(かご)。こちらにはお源様の御供をする、12代宗光公側室恵鏡殿、13代義光公側室お貞殿が乗られています。御乗物と比べて見ると、御乗物は4人で担いでいるのに、駕籠では2人となっています。また、周りに配置されるお侍さんも2人となっています。こうやって違いを見ていくのも、面白いですよね。ちなみに、モデルの絵を描かれたのは館長の新庄屋さん。とても細かいところまで描かれています。

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さて、こちらは「七人猩猩図(しちにんしょうじょうず)」と呼ばれる大きな絵馬。これは、館長さんが和田家資料を解読していくうちに、この絵馬が横倉愛宕神社に奉納されたという事実が分かり、実際に神社へ行ってみたら本当に残っていたということでした。こちらも現在角田市郷土資料館に展示されています。猩猩(しょうじょう)とは、中国の伝説(架空)の生き物で、オランウータンか猿がモデルになったのでは?と言われています。猩猩はお酒好きで赤い髪の毛、そして親孝行のお話によく出てくるというのが特徴。この絵自体は、石川家お抱えの絵師が描いたのではと言われていますが、名前が書いていないので実際は誰が描いたか分からないということでした。そして、この絵馬は石川家の子供たちが愛宕神社へと奉納しています。この絵馬に「私も大人になったら、親孝行の人間にないたいです」という願いをこめて、奉納されたそうです。石川家の教育の一環ということなのでしょうね。

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こちらの写真は、第13代角田領主石川義光公が10日間かけて小銃を千発撃った的を奉納したもの。的に向かって千発撃って、そのうちの700番台と900番台の成績が良く、700番台は100発中96発命中、900番台は100発中97発命中したとのこと。この際に使われた銃は「ゲベル銃」と呼ばれるもので、約30メートルの距離から的を狙ったとされています。1850年当時、13代義光公は率先して鉄砲等の軍事訓練を行っていたことがこのことから分かります。戊辰戦争が始まる18年前のことです。ただ、戊辰戦争の際は、薩長の持っている鉄砲は100メートル先からガンガンと打って来たのに対し、この銃だと50メートル離れると命中率が下がるという弱点もあり、不利な戦いを強いられたとのことでした。しかし、この的を見る限り、角田のお殿様石川公は、普段から戦闘の準備を周到にされていたことが伝わってきます。その様な殿様がいらっしゃった江戸時代の角田で暮らした人々は、幸せな生活を送っていたのではないかなぁと思います。18年後には戊辰戦争が始まりますが、始まる前のちょうどこの時代の角田にタイムスリップしてみてみたいものですね。
<角田市郷土資料館訪問記part5~伊達政宗から牟宇姫への手紙&氏丈邸~へつづく>

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2013.10.25

角田市郷土資料館訪問記part3~奥女中さんの暮らし~

こんにちわ。宙(そら)です[晴れ]
前回は角田城内で行われていた七夕のお祭りお話でした。 
さて、今日も江戸時代後期の角田へとタイムスリップしてみましょう[るんるん]
それっ[exclamation×2]
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1800年代の角田、写真からイメージして頂けると幸いです。
お城の中で興味深い部分と言えば、様々ありますが、「大奥」はその1つではないでしょうか。
少し前まではテレビドラマや、 映画でかなり話題になっていましたよね。
角田市郷土資料館の館長、新庄屋さんはお城の中の奥女中さん達の生活についてお話してくれました。実は今まで角田の奥女中さん達が何をしてたのか、収入はいくらだったのか、そういった資料はあまりないそうです。そこで、今回の和田家資料には奥女中の生活の記述もあり、この和田家資料が角田とその周りの都市の奥女中の生活を解明していく手がかりになっていくのではないかと思います。
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1846年当時、角田のお城には26~27人の奥女中が角田のお城の中で働いていたそうです。
 奥女中の中にも格付けがあり、一番最上位が「側室」、その下に「中老・老女」がおり、またその下に一番人数の多い「中位女中」、またその下に・・・といった感じで、様々な身分の奥女中がお城で働いていました。
角田の奥女中さんの収入についてですが、一番の大きな収入は年2回、お盆(夏)と暮(冬)に支払われる四季施(しきせ)と呼ばれるものだったそうです。これは現在でいうボーナスに当たるもの。1回にもらえる金額は玄米2俵分に相当し、年に玄米4俵分のお金をボーナスで頂くということでした。そのほかにも、お小遣いを貰う機会もあり、年間通した固定収入は金2両と銭770文と言われています。
現在米1俵が約16000円位ですから、現在の貨幣価値で考えると奥女中さんの給料は決して高いとは言えないと、館長さん。それと自分が着る着物やかんざし等はそのお小遣いの中から自分で買わなきゃいけなかったそうです。ただ食事はお城が用意してくれるので心配はないですし、風邪などにかかったら医者にも診てもらえるという境遇だったそうです。
そして見て頂きたいのがこちら。
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これは角田のお城で働いていた奥女中さんが実際に使ったかんざしや櫛なんです。
角田に住んでる方で、先祖が奥女中さんをやっていた方がいて、その方が譲って下さったそうです。これから、角田の奥女中さんがどんな髪飾りをしていたのか、櫛で髪を梳かしていたのか、イメージできますね。とても貴重な資料だと思いました。櫛なんかは現在でもそのまま使えそうなくらい、状態が良いんですね。
和田家資料の研究が進んでいくと、もっと角田の奥女中さんの暮らしが見えてくるかもしれないですね。今後の資料の研究に期待です[ぴかぴか(新しい)] 
場所:角田市郷土資料館
期間:平成25年9月18日~11月2日 
<角田市郷土資料館訪問記part4~角田版大名行列?~へつづく>

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