角田市郷土資料館訪問記part5~伊達政宗から牟宇姫への手紙&旧氏丈邸~
こんにちわ。宙(そら)です
先日、角田市郷土資料館館長の新庄屋元晴さんから、企画展「和田家資料~内留に見る角田石川家の奥向き~」について貴重な解説を頂きました。
今日は伊達政宗公のもとから角田石川家、第3代宗敬公へと嫁いだ政宗公のご息女、牟宇姫へ宛てた政宗公の手紙を紹介させて頂きます。
こちらが実際に寛永8(1631)年伊達政宗公(御年65歳)が、角田へ嫁いだご息女の牟宇姫(御年24歳)に送った手紙です。
政宗公の字が達筆すぎて、私には全く読めません(^^;)
郷土資料館館長さんの話ですと、これは女文字で書かれたものだそうです。昔は男文字と女文字の2つがあって、政宗公は娘(牟宇姫)に手紙を出す際は女文字を使って書いたそうです。政宗公の博識さと娘への愛情が伝わってくるエピソードですね。
さて、この手紙の内容ですが、この政宗公の手紙の下に読み下し文が書いてありました。
文章の真ん中程から読んでいくと、「あゆのすもし一おけ三十入、つかハし申候、らい月一日比、よく候へく候、それすき候ハゝ、あちハひわるくなり申へく候間、その比忘れ候ハて、しやうくハんあるへく候、」
「1桶にあゆ鮨を30個入れて送った。来月1日頃になったら食べ頃になるよ。それを過ぎると味が悪くなるから、その頃合いを忘れないで味わって食べなさい。」
お父様の娘に対する優しさがこの文章から伝わってきますね。牟宇姫は政宗公にずいぶんと可愛がられた様で、手紙のやり取りも多かったと聞きます。
政宗公にとっては五郎八(いろは)姫以来のご息女ということもあって、目に入れても痛くない存在だったんでしょうね。牟宇姫への愛情の深さが伺えます。
牟宇姫は晩年、父政宗公の深恩に酬いるため、松島の瑞巌寺に自筆の法華経8巻を納めています。このことからも、牟宇姫と政宗公の「絆」は深かったのではないかと推測できます。
そしてこちらの写真が牟宇姫が角田石川家への輿入れの際に持って来たと言われる、雛人形2体。
男雛
女雛
こちらの人形は個人で所有されているものだそうで、資料館にはパネルで展示してありました。実際の人形は毎年2~3月に公開されるそうです。
こうやってみてみると、沢山の金が使われています。配色も金、黒、赤を使っており、これは伊達家の強さ、資金力のあるところを表した配色といわれています。見ただけでも、その豪華さが伝わってきます。この人形は普通の雛人形よりも大きく、高さ45㎝、幅60㎝もあるとのこと。そして、江戸時代の「男は度胸、女は愛嬌」を表したような凛々しい表情(男雛)と柔らかい表情(女雛)。この雛人形を作る時というのは、普通の人形を作るのとは訳が違うそうで、人形師が魂を入れて、人形を魂のある一人の人間の様にして作っていく為、本当に人間らしいお顔になるんだそうです。来年の牟宇姫ひな祭りが楽しみです!
話は変わりまして。
これまでは角田市郷土資料館の企画展をメインにお話してきましたが、ここからは角田市郷土資料館の建物「旧氏丈邸」を見て行こうと思います。こちらの、旧氏丈邸、本当に凄いお屋敷なんです。あちこちに色んなカラクリがあって、まるで忍者屋敷のようでした。
こちらの旧氏丈邸は、2年前の震災の際に大きな被害を受けました。昨年1年修復されて、一般公開できるまでになりました。
特に敷地の中にある蔵は土壁なので、かなりの被害を受けたとのことでした。現在は綺麗に直されています。
こちらのお屋敷に使われている柱の一つ一つが立派なものであり、震災当時働いていた職員の方はその柱につかまって助かったと聞きました。
こちらの写真のお部屋は新座敷と呼ばれるお部屋で、写真の様に扉には金箔が使われています。凄いですよね。そして私が一番感動したのが、こちらの障子です。
真ん中が開閉式のガラス障子になっており、お庭の風景を眺めたい時にサッとそこだけ開けられる仕組みになっています。本当に素敵でオシャレなつくりですよね。うらやましいです。この障子は今時代にあるようで、あまりないですよね。
廊下を歩いていくと、お風呂にたどりつきました。
こちらのお風呂、本当に凄いんです!!
まずは2畳ほどの洗面所があり、その隣に行くと
また3畳ほどの畳の部屋の脱衣所がありました。脱衣所でこの広さは贅沢ですよね。
そして大理石の五右衛門風呂&備え付けシャワー!この時代にシャワーがあるっていうのは凄いですよね。そして極めつけはやっぱりこちら。
お風呂に青い鳥が描かれているステンドグラスの窓。そして高い天井。こんなリッチなお風呂に一度入浴してみたいものです。
お風呂場以外にも、お屋敷の奥の方に夏座敷というお部屋がありました。