梁瀬浦遺跡
角田の歴史探訪は面白いです。(^^)v
江戸時代の”石川公ゆかり処”、平安時代にさかのぼって”高蔵寺”周辺、もっと前、奈良時代の郡役所跡がある”郡山遺跡”、古墳時代~縄文時代晩期の”熱日高彦神社と大和朝廷の関係”など、角田って、どの時代を切っても、ロマンがいっぱいです (今日も寝不足・・。)(A^_^;
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そして、もっともっとさかのぼって・・縄文時代中期(定住が始まったのは中期、紀元前3000年頃)にも、ここ角田で人々の生活が営まれていました!(コレッテスゴクナイデスカ?)
国重要文化財になっている「国史跡梁瀬浦遺跡」(やなせうらいせき)は、縄文中期~晩期、弥生時代初期にかけての部落と土器が発掘されているそうです。ちょっとわかりにくい所にありますケド。手代木沼を船岡方面に(農道)を進んで、右側に「梁瀬浦遺跡」の看板が出ています。田んぼ道を入って行って、400M位進むとあります。
100Mx50M程の場所で、看板の他には特に説明がありません。この辺は湿地帯だったらしく、縄文初期から弥生にかけて、気候変動、地形変化等により出土品に変化が見られ(魚を取る道具他)、東北内陸部の湖水沿岸の集落のひとつの典型として、非常に重要なのだとか。 何かがあると期待していくとがっかりしますが(笑)、静かに目をつぶって縄文の生活にトリップしてみるのもいいかもしれません。
この地区に生まれた友人は、小学生の頃ちょっと掘ると、ヤジリが沢山出てきたと言ってました。縄文時代竪穴式住居や、古墳群、遺跡も200件以上が点在していて、角田がいかに歴史が深く、古から住みやすい場所であったということがうかがい知れます。
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