2012.04.03

角田城址

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角田城主石川公は、もとは清和源氏の名門で、三芦城(今の福島県石川町)18万石の大大名でした。しかし、豊臣秀吉の奥州仕置きで、所領を没収されてしまいました。(^^;
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第25代石川昭光公は、伊達政宗公の叔父にあたる御方。政宗公に依って志田郡松山を与えられ、さらに角田に移封されました。その後、明治維新までの270年間、伊達家一門の中で一番家格が高い”御一門筆頭”を与えられ、角田城主として、現在の角田市の基礎を築きました。[ぴかぴか(新しい)]
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明治新政府の命により、臥牛(角田)城は取り壊され、いまは石碑が残るのみです。角田高校の正門を50mほど入った突き当たりの斜面にその石碑が立っています。本当に惜しい・・。[あせあせ(飛び散る汗)]
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正門入り口内側に建っている説明文によると、角田城はふせた牛に似ているから「臥牛城」と呼ばれたそうです。ほかに宮城県では、川崎の川崎城や、登米市の寺池城も臥牛城と呼ばれていたそうなので、伊達家一門の要塞の通称名なのかな、などと思いました。(←完全に個人的見解[たらーっ(汗)]誰か知っている方教えて下さい。)
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小高い丘に建つのが角田高校。数年前に、角田女子高と、元々城跡にあった角田(男子)高校とが合併しました。春には、山全部が桜に覆われて、本当に美しい光景です。
 
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さて、明治維新に遭遇されたのは、第14代当主(石川家第38代)石川邦光公でいらっしゃいました。領土を奉還した後、朝廷北海道開拓移民として、家臣を連れて北海道へ渡り開墾をしますが、数年後帰郷。明治22年には、初代角田町長となりました。本当に波乱万丈な人生です。[たらーっ(汗)] そして、お城に程近いここ「松ヶ枝邸」で、生活をされたそうです。今では、誰も居ず屋敷も取り壊されてしまいましたが、敷地はとても広く、りっぱな植木が残っていました。
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天神社、八幡神社、長泉寺の移設、阿武隈川土手工事、ほか角田の基礎となるたくさんの偉業をなし遂げられた石川家一族に、ほんとに感謝ですよね[ぴかぴか(新しい)] 子々孫々、角田市名誉市民権授与など、いかがなものでしょうか?(*^_^*) ちなみに、14代邦光公の奥様の名前は、牟宇子さまだそうです。どこかで聞いたような・・・。

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