称名寺の幽霊梵鐘
こんにちは!梅子です。
今日は初めに昔話を一つお読みください
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昔々あるところ、延宝、天和の時代に坂津田村を守っていた
仙台藩士「高橋兵衛」という1人の武士がいました。
武士は妻がいるにも関わらず、となりの佐倉村の女と浮気をしていました。
その女と結婚をするため、武士は自分の妻にむごい仕打ちをして離縁しようとしましたが、
妻は貞節にして夫に逆らうことがなかったので家を出ていきませんでした。
ついに武士は、その女と二人で謀を持って妻を毒殺しました。
その後女は後妻におさまったのですが、
殺された女の怨念が幽霊となり毎晩二人の家に姿を現すようになりました。
しかし門に神符が貼り付いていたので女の幽霊はどうしても中に入ることが出来ません。
そこで女の幽霊は、豪胆な村の武士にその神符を取り外すよう枕元に立ち泣いて頼みました。
かねて高橋兵衛ら二人を憎んでいた武士は、乞われるままに神符を取り外し、
女の幽霊は喜んで家の中に入ることができました。
そして女の幽霊は浮気相手を死に至らしめたのです。
女の幽霊は貯えていた黄金を武士に贈り、
冥福のため梵鐘を作って称名寺に寄進するようお願いしました。
そのお願いを夫の高橋兵衛に話したところ、
過ちを後悔した高橋兵衛はこれを聞き入れ梵鐘を作り称名寺に寄進しました。
また、梵鐘を作るにあたり、女の幽霊が武士に贈った黄金を青銅に混ぜたので
その後幾度かの火災にあったがその音色は全く変わらず、
それは女の幽霊の黄金のためでもあると語り伝えらえ今に至るそうです。
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なんだか怖いというより、少し悲しいお話です。女の幽霊はきちんと成仏できたのでしょうか。
話を読みながらすでにお気づきの方はいると思いますが、
その梵鐘が、なんと!ここ宮城県角田市の称名寺に納められているのです!!
女性として、様々な想いが込められた梵鐘を一度見ておかなければと思い、
先日その称名寺の幽霊梵鐘を訪ねてきました。
女の幽霊が武士に贈った黄金を混ぜ作られた幽霊梵鐘がこちらです。
この幽霊梵鐘は大東亜戦争にも「幽霊梵鐘」であるという理由で、軍は梵鐘を徴発せず、鉄砲の弾丸にならなかったそうです。
青銅の青さがまた女の悲しみを表しているようです。
称名寺は、平安時代の末期、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることにより、極楽住生できると説かれた法然の弟子、金光(こんこう)上人が開山されたと言われいます。
称名寺の入口にこのようなお言葉がありました。
与えられた場所に
生きる意味を見つけない人は
どこにいっても満足はない
なんだか考えさせられるお言葉です。
勉強になります!!
新緑も綺麗だったので癒されました(^^)v
角田の昔話を聞いてその場所を訪れてみるのも楽しいですよ
角田の歴史は奥深く面白いので、機会があればみなさんも現地まで足を運んでみてください♪
場所はこちら!
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